インカの生贄

1999年に発見された、500年前の少女

マチュ・ピチュ』で有名なインカ帝国は「神」に生贄として命を捧げていました。人身御供とも呼ばれるこの行為は「カパコチャ」として知られ、飢饉や皇帝崩御の神事の際に国の安泰を願い行われてきたといいます。

 

髪の毛の分析から、食生活などが分かります。その結果ミイラとなった15歳の少女は農民の出であり、ジャガイモなどの野菜を主とする食生活を送っていましたが、死の1年ほど前からトウモロコシや動物性たんぱく質からなる栄養価の高い“特別階級”の食生活へと劇的に変化しているといいます。

 

今回発見された3体のうちこの少女にだけこの変化が顕著に現れていることから少女は“死の儀式”のために特別な教育を受けたようです。

また死の3,4ヶ月前になると「高山病」の気付け薬としても服用されていたコカの葉や、トウモロコシが原料の「チチャ」と呼ばれるビールのような酒を摂取していることから、この頃より祭司らと共に山への巡礼が始まったとされています。

 

この子の左側の装身具から“創造の宇宙エネルギー”が検出できるのです。

 

特別な教育を受け、“創造の宇宙エネルギー”の装身具を身に着けて、少女は生贄となったのです。

 

此処にも“創造の宇宙エネルギー”が存在していました。

 

このエネルギーがミイラの保存状態に影響を与えたのかもしれません。