これが「回る炎の剣」だったのです。
1年に一度、古いお札や飾り物を持ち寄り狛犬の守る神社の境内で、「お火焚き」が続けられてきました。
この時人々は何を思うのでしょうか。
この火の周りに集まって人々は、この一年を思い、来たり来る新年を新たな気持ちで迎えるのです。
面白いのは集まった面々は、この神社に何が祭られているのか、知らない人が多いのです。実は神社のご神体に大きいな意味は存在しないのです。
ただ目に見えない大いなるもの、人知を超えた何かが存在する、神様が守ってくださる、それだけでいいのです。
「回る炎の剣」は人々の邪鬼や邪心を焼き尽くすのです。人のおごる心に、見えない大いなるものの存在を、呼び起させるのです。
よく見ると「創世記」には「命の木の道」を守らせたと書いてあるのです。「命の木」でなく「命の木の道」を神は守らせようとしているのです。
善悪を知る存在となった「人」が私利私欲に走り、悪の道に進むことを戒めるために、狛犬が威嚇し、「回る炎の剣」が大いなる存在を思い出させてくれるのです。
「ケルビム」と「回る炎の剣」は、人知を超えた存在を思い出させるために、「創世記」最初から用意されていたのです。
そしてそれが日本で全く変わらぬ形で存在し続けているのです。人の生きる道を守るために。