二代目天照大御神がパワーストーンを使い始めた

二代目天照大御神は、“天之忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の娘です。

 

そしてこの写真の石が二代目天照大御神が使ったパワーストーンです。

 

場所は糸島、JA糸島産直市場“伊都菜彩”入口すぐ近くの“波多江神社”の第一鳥居を入ったらすぐ左手にあります。

 

では誰がこのパワーストーンを作ったのでしょう?

 

“素戔嗚尊”は父“伊邪那岐尊”から「おまえは海原を治めなさい」と命じられていますから、天体観測を行っていたと思われます。

天体観測の中から“宇宙エネルギー”に気づいたのかもしれません。

 

“宇宙人”との出会いがあったようです。“宇宙人”から“パワーストーン”の作り方を教わったのでしょう。

 

その宇宙人は地底からきた“宇宙人”で地底の片隅にある“根之堅洲国(ねのかたすくに)”から来たのです。

   

このパワーストーンをの作り方を教えたのは地底人“羽明玉(はあかるたま)”なのです。女性です。

 

日本書紀巻1 神代 上 第五段の一書群に

 

一書はいう、 「素戔嗚尊が天に昇ろうとされる時に、一柱の神がいた。名を羽明玉と申す。この神が素戔嗚尊をお迎え申し上げて、瑞八坂瓊の曲玉(清らかな美しい大きな玉で作った曲玉)を献上した。」とあります。ガラス製の曲玉のようです。羽明玉はガラスの製法とパワーストーンを素戔嗚尊に伝えたのです。

 

今ではガラスは安い素材ですが、2000年前は魔法の素材でした。天照大御神の勾玉もガラス製でした。

 

日本書紀 神代 上 第五段の一書群に

 

・・・そこで“天真名井”(あめのまない)を三ヶ所を掘って、向かい合って立たれた。・・・

 まず天照大御神は八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)を天真名井に浮かべ手許に寄せて、瓊の端を嚙み切って・・・・

 次に素戔嗚尊が持たれている剣を天真名井に浮かべ手許に寄せて、剣の先を嚙み切って・・・・

 

 この神話の一方の主人公の“天照大御神”は二代目天照大御神なのです。ここで勾玉や青銅鏡、銅剣に宇宙エネルギーを入れたのです。その神事がここに語られているのです。

 

“波多江神社”にあるこの石に穴が開いています。穴が掘られているのです。まさに神話の通りです。

  このパワーストーンの名前は、『天真名井(あめのまない)』だということになります。

 

“素戔嗚尊”は“勾玉”も作らせていたようで、“天照大御神”にも与えています。ガラス製です。平原弥生古墳から出土した“勾玉”にも“宇宙エネルギー”が入っています。赤い瑪瑙製“菅玉(くがたま)”には入っていません。

 

初代と二代目天照大御神の墳墓はまだ見つかっていません。糸島の何処かでいつか発見されるのを期待しましょう。

 

この後“素戔嗚尊”は三代目“天照大御神”のために二個目のパワーストーンを作りました。三社神社にポツンとおいてある石“第二の天真名井”です。

 

この時代倭王は“瓊瓊杵尊”になっていました。“瓊瓊杵尊”は後漢光武帝の力を借りて“倭国統一”を画策していました。そして三男“火遠理命”は更にそれを深く推し進めていました。後漢光武帝の孫娘“豊玉姫”を妻として迎え入れました。後漢の皇帝との血縁関係を作ったのです。

 

そして“二代目天照大神”に二代目後漢皇帝“明帝”の子を産ませ、その子を“天照大神”に仕立て上げようとしたのです。四代目天照大神“玉依姫”です。

 

悲劇の始まりです。