“天之御中主神”の子、“神産巣日神(かんむすひのかみ)”の長女が“伊邪那美”(いざなみ)です
古事記には三人とも単独神で子は持たなかったと記してあるが、神話を神格化させるために実在の人物を“神格化”させたものと思われる。古事記に出てくる神々には実在の人物と、雲や自然現象の象徴の神名とが混在しています。
意図的に成りたちを、神話の霞の中に消し去ろうとしているのでしょう。
日本神話を読み解くには聖徳太子によって攪乱された史実を解きほぐしていく必要があるのです。本物のの聖徳太子は若くして殺され、大陸の人がすり替わって史実を変えたのです。聖徳太子が一度に七人と人と話せたというのは、外国語に堪能だったということです。偽聖徳太子の嘘を見破れば真実が見えてきます。出土物を物体として取り扱う考古学と、偽神話を絡めていくと、生きた考古学と真実の神話が浮かび上がってきます。
初代天照大御神も2代目天照大御神も3代目天照大御神も実名が全く存在しません。存在しない人物の神名が記載されているのに、存在した“天照大御神”の実名が消されているのです。実名が出てくるのは“天の岩戸開き”の神事で出てきた“天照大御神”、“玉依姫(たまよりひめ)”からです。“玉依姫”は後漢の二代目皇帝“明帝”と“二代目天照大神”の間に生まれた子供です。“三代目天照大神”の父親違いの姉妹になります。このあたりを隠すために三代目までを神代の世界の霧の中に葬り去っているのです。
初代“天照大御神”と関わった実在の人物で墳墓が残っているのは“伊邪那岐”と“伊邪那美”の墳墓“三雲南小路遺跡”です。“伊邪那岐”の二人目の側室の子が“初代天照大神”なのです。この墳墓から出土した前漢鏡“連弧文鏡”と同時代の銅鏡が筑紫郡隅・西小田遺跡、二塚山遺跡、吉野ケ里遺跡などから見つかっています。初代“天照大御神”が下賜(げし)したものです。これらの青銅鏡には“宇宙エネルギー”が入っていません。まだパワーストーンを使っていなかったのです。
福岡県春日市岡本にある“須久岡本遺跡(すぐおかもといせき)”の王墓から見つかった銅鏡からも“宇宙エネルギー”は検出できませんでした。これも初代“天照大御神”から拝領したものでしょう。